連続バンド小説 「俺はまだ速弾きができない」 第1話

『Country roads』

中学まではまともだったし、頭は悪くなかった。
当時担任だった増田先生が、このまま順調に行けば京大、東大は固いと思います、と言ったの聞いて、母親がとても嬉しそうだった。
それを見て俺も嬉しく思った。

卒業式の時に、増田先生が教室ではなむけにと長渕剛の乾杯を弾き語りで歌ってくれた。
そのとき空気を読めないヤンキーがお礼参りに突入してきたけど、空気を読んで帰っていった。
あいつらは誠に馬鹿だと思ったし、増田先生のことは今でも尊敬している。

高校では簡単にドロップアウトした。
1mmも勉強をしなかったので、当然志望した大学には受からず、苦し紛れに俺はアメリカへ渡った。
3年程過ごすが、その当時の記憶はまた別の場所で語りたい。

帰国後、俺は自宅に引き篭もり仕事もせず、毎日30Wのアンプをフルテンにしてギターを弾いていた。
MEGADETH、MR.BIG、VAN HALEN等
田舎だからか苦情は来なかった。

近所に、家にドラムセットを置いている奴がいて、毎日下手くそなドラムを叩いていた。
遮るものがない田舎だから、音はストレートに俺の下に届き、俺達はいつしかジャムっていた。
夕飯時に母親が、「あの子、大分ドラム上手くなったね」と言ったのを聞いて、俺はここにいてはいけないと思った。
3ヶ月程経った頃、祖母が唐突に、「マサキちゃん、東京へ行ったら?」と言った。

俺は東京へ行った。

カプセルホテルで目を覚ますと、歌舞伎町は大雪だった。
暫くは新宿をぶらついていた。
当時まだロックだった宝島という雑誌の情報で、高円寺という街がロックシティだと知っていた。
中野に居を構え、俺は高円寺のゲームセンターで働くことにした。

勤労初日、俺は長髪、MEGADETHのTシャツという出で立ちで出勤した。
同じく新人で、シフト交代で会ったそいつは、DEATHというデスメタルバンドのTシャツを着ていた。
ほうじゅは当時短髪で、今と変わらず笑い方が気持ち悪い奴だった。
俺達は意気投合した。

バンドをやろうとなった。
しかし俺達は田舎者過ぎて、どうやってバンドというものをやればいいのかわからなかった。
スタジオに入るらしい、ということで西新宿のスタジオに行ってみた。
ドアの小窓に映る人影を見る度俺達は怯えた。
今となっては笑い話だけど、インターネットもない当時、全てがトライ&エラーだった。

メンバーを集めようとなった。
二人で手書きのメン募のコピーを持って、西新宿のレコード屋やスタジオを巡った。
好きなアーチストに、筒井康隆と書いた。気が利いているつもりだった。
新宿レコードのおばさんに、DrだとドクターになるからDsと書きなさい、と言われた。
俺達はうろたえた。

応募者は何人かいたけど、変人ばかりだった。
強烈に覚えているのは、ギター応募で、突然帰る奴
気が付くといないので、途中から誰も気にしなくなった。
そいつがいつバンドからいなくなったのかも覚えがない。

変人アタックに疲れた俺達は、音楽への興味を削がれていた。
結局バンドを結成してから2年間はほとんど活動せず、酒を飲んだり、ビリヤードをしたりした。

持ち曲は無かったし、バンド名もなかった。
俺達は拗らせていて、ハヤカワ文庫のハードSFが好きだった。
ろくに読んでもいないJ・P・ホーガンの小説タイトルに触発され、躁病が極まった俺は覚醒した早朝にほうじゅに電話をした。

「バンド名を “つぐもの” にする」

ほうじゅは言った。

「いつも俺がオナニーしてるときに電話してくんなよ」

その後、躁病特有のアグレッションで俺は猛烈に曲を書き、俺達は初ライブに臨むことになる。

(続く)