連続バンド小説 「俺はまだ速弾きができない」 第2話

『Don’t be afraid of mistake』

初志から2年が経過していた。

初ライブは、東高円寺LOS ANGELSとなった。
東高円寺なのにLOS ANGELSとはこれいかに、等と思う余裕も無かった。
人前で芸事を披露するのは高校時の学園祭以来だったので、脳内シミュレーションに余念が無く、眠れぬ夜を過ごした。
眠れない日はハルシオンを服用した。
ほうじゅは明晰夢に没頭したりしているようだった。

学園祭では、俺は友達のギター伴奏で真島昌利の「さよならビリー・ザ・キッド」を歌った。
当時恋をしていた岡田さんにのみ向けて発信したが、年代にしては内容が重すぎたためか、全く伝わらなかったように伺えた。
恋は成就しなかった。

ライブの日程が近付くに連れ、人に料金と足労を頂き、ステージに立つということの意味合いを感じつつあった。
俺達はストレスに弱かった。

その日がやってきた。
メンバーは、ほうじゅ(Vo)、俺(Gt)、マシン(YAMAHA QY70)という編成であった。
今となっては考えられないが、実質2人である。

ポップス系のイベントだったように記憶している。
観覧に、友達が4人と、学生時代の後輩が1人来てくれた。(ライブ後、後輩との関係は自然消滅する)

俺達は、「デュオ」という扱いだった。
イベントの趣向で、出演前にアナウンスがあり、俺達は「つぐもり」と紹介された。
今でも恨んでいる。

ほうじゅは白衣に便所サンダル、俺は角鋲に刺繍をキメた学ランという出で立ちであった。
最高にイケていると思っていた。

ライブが始まった。
ほうじゅは俯いて呪詛のような何か唱え、俺はピーキーなだけのギターを弾き、客は能面のような顔でタバコを吸っていた。

結局のところ、意を決した初ライブでは何も起こらず、打たれ弱い俺達はまたも引き篭もった。

更に2年が経過した。
その頃ビリヤードにはもう飽きていて、俺達は高円寺の酒場を往来した。
サブカルチャーに造詣の深い漂いを持つことを良しとし、夜の街で、高円寺文庫センターで買った本の書評を交わすことに俺達は専ら日々の満足を得ていた。

そんな繰り返しの毎日に、俺達はもしかしたらバンドをやっていないんじゃないかという不安に突如襲われた。
またしても躁病特有の、誰も付いていけない突発性を持って、俺は猛然とメンバー募集を再開始した。
ほうじゅは俺のリズムに慣れつつあった。
2003年も冬に差し掛かろうとしていた。

バンドであるために、とにかくドラムとベースが必要だった。
またも変人アタックの対応に追われ疲労していた頃、中でもややまともに映るドラムの応募を見つけた。
俺達は、新宿アルタ裏の花屋の前で待ち合わせた。
ちなみに俺は、新宿で人と会うときは大体ここと決めている。(現在は閉店)

「ゴキゲン」を画に描いたような奴がやってきた。
何故か頭の中で、ドリカムの「うれしい! たのしい! 大好き!」がファンファーレの様に鳴り響いていた。
男は「武田」と名乗った。

(続く)